浄土真宗本願寺派 
  
 海穏山 西性寺(かいおんざん さいしょうじ)

法話

令和4年 盂蘭盆会

コロナ禍での三度目のお盆。年毎に感染者数の波は大きくなっていますが、この夏は帰省や旅行など、制限のない夏休みとなりました。
感染対策やワクチンの普及などがあり、コロナとの共生が進んでいるようです。

不要不急ということを考えされました。
同時に不要不急の大切さに気付かされたということもあるでしょう。
故郷の家族と会うこと、コンサートやスポーツ観戦、
会食したり笑い合ったり、
不要不急ですが、これによって人生は彩られてきたとも言えます。
必要最低限というデッサンの上に 不要不急という色彩が載せられる。
人生とはそういうものなのでしょう。

生きること。これこそ最低限のこと。
戦禍にいる人々は、「生きる」ということが脅かされています。
この数か月、家族を失い生活を奪われながら、耐え忍んでいることを思えば心が痛みます。
何とか生き延びて戦争の終わりを迎え、皆で笑い合える日々を取り戻してほしいと願うばかりです。


命は、何よりも大切なもの。
しかし、必ず終えてゆくものでもあります。
死にたくない心を拠り所に生きれば、それは必ず崩れ去る時が来ます。
命を大切に生きるためには、どのように死を受け入れるのか、死と共に生きて行くのかを考えねばなりません。

お盆は、浄土に往き生まれた先人に、静かに心を寄せる期間。
浄土の先人は、その身をもって命のあるがままの姿をお示し下さった方々です。
自らの命の有り様を見つめ、浄土までの道のりをどのように歩み彩って行くのか、深く考えさせていただきましょう。

令和4年 春のお彼岸

春めいて参りました。
厳しい冬を越して訪れる春。
この心地よさは言葉にならないものです。

春の訪れですが、気持ちは晴れません。
ロシアの侵攻は止まないのでしょうか。
大国の身勝手極まりない振る舞い
小国の理不尽であっても助けてもらえない姿
悲嘆に暮れるほかはありません。

人間は、協力することで発展した生き物です。
助け合い労わり合えるのが人間であるのと同時に
争い、奪い合い、殺し合う姿も他の動物の比にならないものです。

仏教では、煩悩の中に人間を見ていきます。
「その本質は、我欲であり
怒り・腹立ち・妬み・嫉みが身に満ちて
臨終に至るまで止まらず」と説かれます。
そういうものが生きているのですから
人間関係というのは難しく
辛抱していかなければやっていかれないものです。

人間の心には、恐ろしい残虐性が潜んでいます。
思い通りにならないとき、怒りに身が震えるとき
他から自分が否定されたとき
それが抑えられなくなるのです。

人間の残酷さを出させないようにするために、社会がありルールがあります。
そして何よりもそういう心を抑えてくれるものが
仲間や家族、大切と思える人の存在だと私は思うのです。
プーチン大統領の子や孫は、この侵攻をどのように受け止めるのでしょうか。

「何が起こるか分からない世の中で
 何を起こすか分からないわたしが
 いま、生かされている」

一日も早く穏やかな春となってほしいと願います。

令和3年 秋の彼岸

厳しい夏の猛暑が少しずつ和らいできたでしょうか。
東京オリンピック・パラリンピックとコロナの第五波。
忘れられない夏が終わり、秋を迎えました。

「このお彼岸、お墓参りは控えて下さい。」
都知事の苦渋の言葉が身に沁みます。
人間の生活・社会は一瞬のうちに崩れてしまうことを
痛感させられる他はありません。
コロナ禍における最後の彼岸とできるでしょうか。

「コロナが終わればこれがやりたい」
多くの人が考えているのではないでしょうか。
コロナ前の「やりたければできる」の中では感じられなかったことかも知れません。
コロナにより否応なしに足が止められていますが、
今後の人生において、真にやりたいことや会いたい人
それが何なのか 誰なのかに、気付かされる機会とも言えます。

日々の喧騒の中で、ふと足が止まるとき。
そういう時に私たちは色々なことに気付かされます。
お盆やお彼岸がくれば、どんなに忙しくても時間を作りお墓参りをするという古来からの日本の習慣は、
そういう時間を与えてくれていた機縁でもあります。

陽が真西に沈み行く彼岸。
沈みゆく「夕日」に命の終わり思い、浄土をいただいていきます。
この世に生まれた命は、止まることなく戻ることなく、
一方向で死へと向かっていきます。
命は常に「西向き」。決して東へは戻らないものです。
命は死ぬということ。そこには良いも悪いもなく、
受け入れていく他はありません。

社会や経済が簡単に崩れてしまうのと同様に
人間の身体や心も、はかなくもろいもの。
依り処としていたものが瞬時のうちに崩れてしまうことがあります。
必ず崩れていくという方が正確かもしれません。

お浄土へとご往生された先人は、今生において色々なものを築きまた崩されていかれたことでしょう。
先人の歩みを通じて自ら人生を見つめ、お浄土までの人生の道程をどのように歩むのか、
深く考えさせていただきたいものです。
海穏山 西性寺
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